
野球を始めたのは小学1年生から。
下新城野球スポーツ少年団で野球をしていた兄の影響を受け、いつの間にか一緒に練習に行くようになった。
小学ではナイスカップに出場、中学では県大会優勝、東北大会3位で全国大会に出場した。
父の憲樹さん、兄の凛さんも中学の県大会で優勝している野球一家だ。
5回の挑戦
高校は父と兄の母校でもある秋田商業に進学し、甲子園を夢見た。
入学後すぐにセカンドのレギュラーに抜擢された。
1年の夏は決勝戦で明桜に敗退、秋は3回戦で秋田北鷹にサヨナラ負け、2年の夏は決勝戦で金足農業に敗れ、
秋は県大会で優勝したが、東北大会の初戦で花巻東にコールド負け、最後の夏は準決勝で鹿角に敗れ、
勝つことに、そして甲子園に行くことにこだわり続けた3年間だったが、甲子園の土を踏むことは叶わなかった。
悔しかった試合
悔しさの方が多かった3年間だったと言う。
中でも一番悔しかった試合は2年夏の金足農業との決勝戦。
3対5でリードされ、8回表1死3塁で迎えた第5打席。
結果は1点差に迫る中犠飛を放ったが、「あの場面で自分がヒットでつなげていれば、あの試合は勝てていた」と話す。
常に試合の流れを読みながら勝負どころを知る彼の野球観には只々感服するばかりだ。
楽しかったこと
「自分自身がチームの勝利に貢献し、仲間と一緒に勝ちきることが野球の楽しいところですね」。
彼の甲子園予選の通算戦績は18勝5敗。
勝つことの楽しさも十分に味わうことができた3年間だったと思う。

学び
常に自身の活躍とチームが勝つことにこだわり続け、自分だけで抱え込むことが多かった「勝つことに飢えた一匹狼」が、
主将になったことを機に「周りを頼る、助けてもらう、一緒に考えることも大事なことだ」と気づいた。
背中でチームを引っ張り、チーム全員で勝利をつかみ取るチームをつくり上げていった。
迷いやいら立ち、つらいことも多かったが、最後の夏に3年生全員が同じ方向を向き、
チームがひとつになることができたことが彼のリダーとしての成果だった。
感謝
高校野球において一番信頼し、かつ、感謝しているのは太田直監督だ。
自分自身が一人の人間としても成長できたのは監督の指導のおかげだと言う。
監督も「全てにおいて今年は良くも悪くも菅原煌のチームだった。
彼を甲子園に導いてあげたかった」と言わしめた。
「監督を甲子園に連れて行きたかったし、一緒に甲子園で勝ちたかった。
出来ることであれば、もう一度、太田監督と一緒に野球をやりたい」。
師弟の絆は強固なものだったと感じる。
野球とは
「何回も失敗をするスポーツだと思います」。
そして、失敗を重ねながらも目標を達成するために考え、行動し、「目標を達成したときの達成感を味わうスポーツだと思います」。
何度失敗しても本気で野球と向き合い、粘り強く挑戦する彼の姿にチームメイトも追随し、
チームとしての成果も追求し続けた彼のキャプテンシーが春先に全然勝てなかったチームを見事に立て直した要因だと思う。
将来はプロ野球選手に
大学に進学して野球を続け、「激しいレギュラー争いに勝ち、自分の持ち味を発揮しつつチームの勝利に貢献できる選手になりたいです。
そして、自分自身の足りないところを補い、将来はプロ野球選手になりたいです」。
常に注目され、活躍もしたが挫折も味わった高校野球。今後の彼の活躍にも期待し、夢の実現を応援したい選手だ。

<編集後記>
試合を観戦するのが楽しみな選手だった。
小柄だが闘志あふれるプレーでチームを牽引し、投手、 内野手、 そして外野もこなすユーティリティープレーヤーだった。
今の時代にめずらしい「やんちゃな野球小僧」の今後の活躍にも期待したい
~ profile ~
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菅原 煌 (すがわら きら)、 2007年生まれ
下新城小~城南中~秋田商業高 166cm 65kg 右投げ左打ち |
≪文・写真: ボールパーク秋田編集部≫