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小、中、高と野球少年でした。高校卒業後も、秋田市役所に入って野球を続けました。入庁当時は公園緑地課に配属され、千秋公園の管理などを担当していました。現在の八橋球場に配属になったのが平成元年から。本当にうれしかったなぁ。秋田で野球をやっている者にとって八橋球場は「聖地」ですからね。本当にあこがれの八橋球場で仕事ができる、という期待感でいっぱいでした。配属になるまではネ(笑)

実際に配属されてから分かったのが、仕事内容が野球場の管理ばかりではない、ということでした。当時はプールもあったしテニスコートや陸上競技場などの施設があって、当初は休みがまったくとれないような状態が続きました。最初に思い浮かべていた仕事内容とは少し違っていましたね。今も多忙な日々は続いていますが、雄和と河辺の両地区の施設を町村合併により管理することになり、さらに大変になりました。仕事が落ち着くのは雪が降ってから、解けるころまでです。

グラウンドキーパーの仕事内容は、大会がない平日は砂を足したり、芝を刈ったり、土を柔らかくしたり、といったグラウンド整備の仕事が主です。大会がある日などは朝からの準備となります。試合の2時間前には選手たちがアップできるように逆算しながら、ラインを引いたり水をまいたり4人での作業となります。

八橋球場については、年間スケジュールに沿った整備の流れがあります。もちろん、球場の状態を見ながら必要な時期に行う作業もありますが、土を追加する時期や芝の手入れをする時期は、概ね決まっています。また、ホームベースの交換は年に3-4回。ピッチャースプレートは年4回くらい。換えるタイミングは状態を見ながらですが、大きい大会の前に換えることが多いです。

仕事の中で注意していることは?と聞かれると、「特にない」と答えています。それは、何かひとつのことに気を付けるというよりは、選手たちがケガや事故なく試合ができる状態をつくることに集中しているからです。

グラウンド整備のこだわりは、土の調配合です。土は風や雨で飛んだり流れたりするので、秋に大型ダンプ2台分、補充します。この時に運んだ土は、直接グラウンドに入れるのではなく、砂と混ぜ合わせて「八橋の土」を作ります。その砂も1種類ではなく、目の粗い砂と、細かい砂の2種類の川砂、さらに細かな粒子の砂を混ぜます。配合は長年の経験というか、勘で決めています。その年によって黒土の質も変わるので、毎年同じ割合というわけにはいきません。さらに石などの異物が入っていないか、ふるいにかけます。そうやって作った土をグラウンドのくぼんでいる箇所に補充し、グラウンドを水平にします。これらの作業は球場の開放が終わる11月以降に行います。大きな業者が入って一気に行っているイメージがあるかもしれませんが、土を混ぜる作業も10人がかりで土を一輪車で運び、スコップで混ぜるという手作業で10日ほどかけてやっています。シーズンを通じて土や芝の手入れをしていますが、夏は特に、芝が枯れたり、グラウンドが硬くなったりするので、この時期は気を遣いますね。土については散水の回数を増やして対処していますが、どのくらいの量の水をまくのかという判断は極めて難しいですね。その目安については、足裏の感覚だったり、ボールの弾み方だったり。これも長年の勘でしょうか。

土の作り方については、先輩の中川誠さんの存在が大きかったですね。教えてもらった、というよりも、この仕事は書類や口頭でマニュアル化できるものではないことから「盗んで覚えろ」と言われていました。ライン引きに関しては、私も25年間、ほぼ私一人で引いていたと思います。秋田県内での球場管理人の中では、一番ラインを引いたのではないかと、思っています。

一番印象に残っている試合は?と聞かれると、これという試合はありません。野球は自分も経験したし、高校野球の結果も気にはなりますが、それ以上に、選手にはベストなコンディションの中で試合をさせてあげたい、の一念です。

私にとって野球とは、「勉強」ですね。現役の時はもちろん、今も仕事をして野球と向き合う中で、グラウンドの整備の技術だけではなく、様々なことを野球を通じて勉強させてもらっている、と感じます。ベテランになった今も、毎日が勉強だと思っています。


≪文・写真:ボールパーク秋田編集部≫

~ profile ~

佐藤 雅之(さとう まさゆき)氏
昭和42年生まれ
秋田県大仙市出身