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Q  現在所属しているチームは?
A  現在は、牛島エスポークラブ、脇本クラブ、小西タイヤホイールズ、ガッツジャイアンツ、ララパルーザ、フェニックスの6チームですね。

Q  持っているユニホームの枚数は?
A  学生時代のものや古いものは捨ててしまいましたが、10着以上はあると思います。

Q  野球をはじめたきっかけは?
A  小学1年生のころからゴムまりで遊んでいました。
3年生の時に叔父がグローブを買ってくれて、そこから仲間たちと野球をするようになりました。
本来は野球部に入部できるのは5年生からなのですが、野球の才能を認めてくれた担任の先生が推薦してくれて、特別に4年生から入部させてもらいました。

Q  小、中の戦績は?
A  船川第一小学校ではピッチャーで全県ベスト8。
船川中学校(現:男鹿南中)でもピッチャーで、男鹿市の予選はすべて準優勝でした。

Q  男鹿工業高校に進学した理由は?
A  本当は仲のいい友達みんなで男鹿高校へ進学する予定でしたが、突然、担任の先生から男鹿工業の推薦入試の面接に行けと言われました。
面接では野球のことだけしか聞かれず、それでも合格ですよ(笑)。
ピッチャーとして入部しましたが、膝の故障などでサードへコンバートされ、1年からベンチ入りしました。
2年になって肩が強いからとレフトを守り、3年夏はライトでした。バッティングには自信がありました。
ピッチャーにも未練があり、バッティングピッチャーをする時は全力投球でした。
結果、打たれないバッティングピッチャーでした(笑)。

Q  野球での武勇伝を教えてください。
A  高校卒業後は東京の会社に就職し、草野球チームに所属していたのですが、私のボールを捕れるキャッチャーがいなかったんです。
ある時、私の投げたボールを捕ったキャッチャーが手の親指の付け根のあたりを骨折してしまいました…。
当時は140キロ近いストレートが武器でしたからね。
それからはピッチャーをやらせてもらえませんでした(笑)。

Q  今までで一番印象に残っている出来事は?
A  26歳のときに、試合中に骨折してしまったことですね(笑)。
当時は9月に秋田県と岩手県の8チームが参加する野球大会があり、その大会に私は地元チームの助っ人として参加させてもらいました。
準決勝までは野手として出場し、チームも順調に勝ち進み決勝へ。
監督から「ここまできたら優勝したいので投げてくれ」と言われ私は先発を任されました。
3回だったと思います。
投球時に、今までに聞いたこともないような音と共に右腕に激痛。
あまりの痛さに気を失い、そのまま救急車で運ばれました。
レントゲンを撮ったら、肘から肩にかけての1本の骨が2カ所折れて、3つになっていました。
この年のシーズンは投げてはノーヒットノーランを達成、完封は当たり前。バッティングも絶好調でした。
が、こんな落とし穴があるのかとびっくりしました。
なかなか主治医から退院の許可を得られずに3カ月も入院しました。
最終的には院内で酒盛りしているところを婦長さんに見つかり、こっぴどく叱られ強制退院させられました(笑)。

Q  今年の出場試合数は?
A  今年は60試合くらいですね。
他チームの先輩が年間で60試合から65試合に出場していたと聞いたので、いつか追い越したいと思っています。
目標は70試合です!

Q  4番打者として打席に入る前、打席で考えることは?
A  今は状況を考えたバッティングをすることを常に心掛けています。
若い時は「自分のバットで試合を決める」と思っていました。
でも、全国大会などのハイレベルな場を経験したことで、考え方が変わったんですよね。
『日本一になりたい』という強い思いからくるものだと思います。
でも、試合の大勢が決した時の打席はレフトスタンドを見て、打球の軌道をイメージします(笑)。

Q  生涯で一番うれしかった試合は?
A  平成22年の東日本軟式野球県大会の1部で、所属していた脇本クラブが初優勝した試合ですかね。
このときが、脇本クラブの初優勝で、男鹿市からは初の全国大会出場でした。うれしかったですね。

Q  好きな言葉、座右の銘は?
A   『一生幸せでいたければ正直に生きろ』です。
どこで見つけたかは忘れてしまったのですが、この言葉がすごく好きで書いてもらったものを家に飾っています。

Q  野球をやっていて良かったと思うことは?
A  仲間たちと良い関係を築けていることでしょうか。
最高の仲間たちと、夢中になってできることが、団体競技ならではの素晴らしさだと思いますね。

Q  感謝している人は?
A  まずは仲間たちです。
仲間がいてこその野球ですからね。
あとは、小6のときの野球部の監督だった深谷肇先生ですね。
当時ライバル校だった男鹿中小に、最後の大会で勝つことができました。
いつも厳しかった先生もこの優勝はうれしかったようで、祝勝会では号泣でした。
最後に優勝という形で恩返しができて良かったと思っています。

Q  これからの夢や目標は?
A  12月に右肩の関節唇(かんせつしん)の手術をします。
ずっと肩に痛みがあって、肩を使わずに肘と手首だけで投げていました。
周りからは、「46歳にもなって…」と言われますけど、そこまでしてでも野球をやりたいんですよね。
まさしく野球小僧ですよね(笑)。
だから手術が楽しみです。
一生懸命リハビリをして、もう一度マウンドに立つことが夢です。
肩を使って思い切り投げたいですね。
それとまだ成し得ていない“日本一”になることが最大の目標ですね。

Q  杉本さんにとって野球とは?
A  仕事もプライベートもすべてを忘れさせ、夢中になれるものですね。



《編集後記》
勉強嫌いでやんちゃだった少年が今では実業家として大成功している。
中学校時代の仲間たちは高校へ進学も、みんなすぐに学校を“クビ”になったという。
今でも親交があるが、自分が唯一の高卒だったのも野球のおかげと笑いながら話してくれた。
仲間たちを大切にし、野球だけはいつも真剣に取り組む真摯(しんし)な人柄にみんながほれこむのも容易に理解できる。
今後、更なる活躍を期待したい。

≪文・写真:ボールパーク秋田編集部≫


~ profile ~

杉本 一秋(すぎもと かずあき)氏
秋田県男鹿市出身
昭和46年生まれ