menu

Q  野球はいつから始めたのか?
A  小学5年の時、クラブ活動として始めた。
そのころは、ショートを守り、6番を打っていたかな。
大館市の学校対抗で準優勝した記憶がある。
でも中学校では、野球部に「体験入学」したが、1日でやめた。
その理由は、「面白くないから」(笑)。

Q  中学時代は器械体操をやっていた、と聞いたが?
A  1日で野球部を「退部」したことで、友人から「体操部に入らないか?」と誘われ、入部した。
3年時に団体で、大館一中として初の全県大会の出場を果たした。
個人では5位に入ったが、当時の1位から4位までは能代勢が独占した。

Q  高校時代は?
A  当初は地元の大館鳳鳴高に進む予定だったが、父親が秋田工高のOBで、同窓会の副会長を務めていたこともあり、本人になんら相談のないまま、秋田工高へのレールが敷かれていた。
高校でも体操部に入ったが、3年時に福井国体に出場したことが、思い出として残っている。
3年間、寮生活を経験したが、「団体生活」「上下関係」など、社会に出てからでは学べないことを経験したことが、現在でも役立っている。

Q  現在、所属している野球チームは?
A  大館ベースボールクラブ(BC)と大館ドリームズの2チーム。
BCは360歳、450歳、500歳の大会に出場し、現在は450歳の監督を務めて3年目。
ドリームズでは還暦大会に出場している。大学を卒業して大館に戻り、14年間は野球と離れていたが、小学校の恩師に誘われ、野球を再開した。

Q  楽しい思い出は?
A  大館の田町球場でオーバーフェンスを打ったことかな。
手応えは感じなかったが、内心「いった」と思った。

Q  逆に悔しかったことは?
A  特に「これが…」という悔しかったことはないが、やはり試合に関しては、どの試合でも負ければ、悔しさは募る。
でも、「楽しんで野球する」ことがモットーなので、勝ち負けにはそんなにこだわらず、取り組んでいる。

Q  監督としての悩みはあるか?
A  360歳の人数は少ないが、選手のコマはそろっている、と思う。
仕事を抱えている選手が大半なので、例えば500歳の場合、勝ち進んでいくと休みが取れない選手が多く、なかなかベストメンバーを組むことができないのが悩み。
したがって、監督とはいえ、試合に出場しなければならない状況が続いている。
出られるだけうれしいことだが…。

Q  目標は?
A  チームとしての一番の目標は、地元・大館で開催する450歳の頂点を目指すこと。
過去において、準優勝は経験しているが、その上の成績を狙いたい。
個人としては、一昨年は6割6分6厘、昨年は6割3分と、納得のいく打撃成績を収めている、と思っている。
今シーズンの目標は「5割以上」を設定している。
できるかな?

Q  野球の魅力ってなんだろう?
A  体操の場合、団体競技があるとはいえ、基本的に個人のスキルが大きなウエートを占める競技。
しかし、野球の場合、出場した選手、ベンチに入っている選手を含めて、喜怒哀楽を全員で共有できることが最大の魅力かな。
そして、監督としてサインが「はまった」ときは最高の気分だね。
体操をやっていたころは、アキレス腱を2度切ったりしたが、体がまだ小さかったからできたかな、と思っている。
もし、体操ではなくて、中学から野球をやっていたならば、もっと、上手な選手になれていたかもね(笑)

Q  川井さんにとって野球の位置付けは?
A  大好きだったゴルフ(ハンディは10前後)の年間ラウンド数より、野球の試合数の方が上回っている。
土・日の練習、そして試合と、今となっては「楽しみ」以外、何物でもない。

Q  若い世代に伝えたいことは?
A  スポーツを含めて、今の若い世代は「趣味」が少ない、と感じる。
野球でなくてもいい。
スポーツを通じて学ぶことは必ずあるはず。
私自身も体の続く限り、野球を通じて学び、そして楽しみ、友人の輪を広げていきたい、と思っている。



《編集後記》
60代の半ばを過ぎた今、監督として、あるいは選手として動き回る姿に感服する。
しかも、打率が6割超とは、驚きの数字である。
学生時代に経験した体操では、地元・大館で中高校のコーチを務め、特に大館一中では、同校の女子団体で初めて全県大会へ導き、手腕を発揮した。
かつては「体操王国」と名をはせた本県の一助となったに違いない。
今後は、目標でもある「450歳大会」の全県優勝を目指して、頑張ってほしい。
川井さんのリーダーシップに期待する。

≪文・写真:ボールパーク秋田編集部≫


~ profile ~

川井 隆治(かわい りゅうじ)氏
秋田県大館市出身
昭和25年生まれ
大館市立城南小―大館第一中―秋田工高―湘南工科大
秋田工高体操部時代は福井国体に出場。
元・大館体操協会会長
秋田工高体操部・OB会会長
大学卒業後は大館に戻り、仕事の傍ら、大館第一中、大館桂高(現・桂桜高)体操部コーチなど計9年間、歴任。
奥羽電気設備株式会社代表取締役