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Q  入学の経緯は?
A  能代シニアに入っていたので、その仲間たちとずっと続けていきたいと思っていました。
ですがその後、合川ベースボールクラブで活動していたときに、桜田監督からの勧めもあり、新屋高の前監督の川村先生を紹介していただきました。
親元を離れて下宿することへの不安も感じましたが、「今までとは違う新しい環境で、新たなメンバーと野球をするのもいいかな」と思い、新屋高へ進学し、甲子園を目指すことを決めました。

Q  楽しかったこと、うれしかったことは?
A  1年秋の段階では、ベンチに入るのがやっと、という状況でした。
しかし、冬に基礎トレーニングを徹底したところ、2年春には初めて“5番”という1桁の番号をもらうことができました。
そのときは本当にうれしかったです。
毎日下宿先から学校まで走って通学するなど、厳しいトレーニングでしたが、それが実を結び、頑張って良かったな、と思いました

Q  苦しかったこと、つらかったことは?
A  冬のトレーニングもつらかったですが、ずっと一緒に暮らしていた家族に会えないことが何よりもつらかったです。
1年春には、既にホームシックになっていました(笑)。
家に帰りたくなることもありましたが、自分で「頑張る」と決めて出てきたので、父には絶対弱音を吐きたくないと思っていたので、途中で諦めて帰る、という選択肢はなかったです。
その思いを知ってか知らずか、父がよく電話をくれたので、それが自分にとっての"頑張る源"となっていました。
自分が野球を頑張る姿を見せることが何よりも親孝行になると思っていたので、つらくても頑張ることができたのだと思います。

Q  自分が成長したと感じることは?
A  中学生のときには、気持ちにムラが多く、メンタル面が弱かったのですが、下宿するようになって1人でじっくり考える時間が増えたことで、メンタル面が強くなったと思います。
プレッシャーにも強くなり、人間的には一回り以上成長できたと感じます。

Q  感謝していること、感謝している人は?
A  家族です。
毎週土日は試合があったのですが、祖父、祖母は毎試合欠かさず合川からわざわざ来てくれました。
祖母が手作り弁当を持ってきてくれて、その弁当を食べてから試合に出る、というのは最高でした。
大好きな祖母の料理を口にすることが少ないので、祖母の愛情こもった料理を食べられることがうれしかったし、毎回その弁当からパワーをもらっていたので、本当に感謝しています。
涙をこらえながら食べたこともありますよ…(笑)。

Q  座右の銘、好きな言葉は?
A  『信は力なり』。
京都の伏見工業でラグビーの監督をしていた山口 良治さんが、荒れていた伏見工業を立て直したときに使っていた言葉です。

Q  これからの目標や夢は?
A  大学でも硬式野球を続けようと思っているので、そこで全国制覇を成し遂げたいです。
そして、家族に支えられてここまで来ることができたことで、家族の大切さを身をもって感じたので、今度は自分が家庭を持った時に家族をきちんと支えてあげられるような立派な父親になりたいと思っています。

Q  一緒に頑張った仲間たちへのメッセージ
A  誰ひとり離脱することなく14名で3年間を終えることができたことをうれしく思います。
これから先、すごくつらいことがあったときは、この3年間を思い出して、それをバネに乗り越えてほしいです。

Q  後輩たちへのメッセージ
A  自分たちは1年生から3年生まで夏の大会で1回も勝ったことがないので、後輩たちにはぜひ1勝、そして甲子園でも1勝してほしいです。
冬のトレーニングも一生懸命取り組んでください。

Q  あなたにとって高校野球とは何だった?
A  実際やっているときは、すごく苦しいものでした。
監督からは叱られてばかりで、もう嫌だと思ったことが何度もありました。
しかし、いざ終えてみると、あんなに自分のために叱ってくれる人はいないことに気付きました。
自分のことを思って叱ってくれる人は、社会に出るときっといないと思います。
なので、自分の人生の中では1番濃い3年間だったし、一生忘れることのない3年間になったと思います。

≪文・写真:ボールパーク秋田編集部≫


~ profile ~

佐藤 浩哉(さとう ひろや)
秋田県北秋田市出身
新屋高校3年