~ 甲子園に行ってきました ~
秋田県野球協会審判部 北仙北支部 浅利卓美

第97回選抜高等学校野球大会に、北海道・東北ブロックからの派遣審判委員として参加してきました。
28年前、高校3年の夏に選手権大会の公式練習で補助員として30分だけプレーした甲子園球場で再びプレーする事を夢見て審判員活動を始め、
念願叶いこの度推薦していただく事ができました。
今回は派遣の内容について少しだけ紹介させていただきます。
● 審判委員構成、大会前の準備
今回の選抜大会は全国各地方からの派遣審判委員が私を含め8名、在阪審判委員33名、
在京審判委員6名の、合計47名で構成されました。
選抜大会への派遣は秋田県からは8年ぶり5人目で、大変貴重な機会をいただく事ができ、
ご指導いただいた諸先輩の皆様、協力し応援してくれた家族、
理解して送り出してくれた勤務先の社長・支店長をはじめ従業員の皆様には心から感謝しています。
開幕2日前に割当配置表をいただきました。 事前の情報では昨年の選抜大会は北から順に派遣審判委員が登場していたので、 今大会はおそらく南からの登場となるだろうと勝手に予想をしていましたが、 割当表を確認するとまさかの北からの順番…。 秋田はまだ雪があったため土の上での実戦練習が一度も出来ず、ぶっつけ本番がテレビ中継のある甲子園での大会、 また審判員顔合わせの時に「テレビの前にいる全国の審判委員の模範となる動き、 ジャッジをするように」と言われ益々不安となり、重ねて派遣審判委員のトップ出番となる開幕日の第2試合の割当、 出番までの数試合を見て少しでも感覚を取り戻してから本番に備えようと考えていただけに、非常に困惑しました。
翌日に行われた事前講習会では率先してたくさんのプレーをジャッジし練習しましたが、
やはり実戦から遠ざかっていた事もあり、適した位置取りや止まるタイミング等の感覚がなかなか掴めず、
散々な結果となり更に不安が大きくなってしまいました。
しかし、派遣された以上これまでやってきた事を信じ、
失敗してもいいから普段通りにやり切ろうと決心し大会に臨むことにしました。
派遣審判員の皆さんと (右から2番目が浅利)
派遣審判委員は甲子園球場最寄りのホテルで合宿生活となります。 担当する試合が無くても球場に行き観戦して学び、ホテルに戻ってからも毎日夕食後にミーティングが行われ、 審判漬けの毎日で心身共に疲れ果てましたが、 宿舎ミーティングでは普段は気づけなかった事や貴重なお話をたくさん聞く事ができたので、 今後の活動の参考になりました。
ミーティング後に派遣審判員同士で近くの銭湯に行きリフレッシュ出来たのも助かりましたし、
選抜大会は1日3試合なので試合終了時間が夏の選手権大会よりも早く、
個人の時間が比較的多く取れた事も体調管理面では良かったと感じています。
● 開会式
開会式では審判団の最前列に並ばせて頂き、
警察音楽隊の素晴らしい演奏を先導に入場する各チームの立派な行進を見て、
これまで経験した開会式の中で一番感動しました。
市立和歌山高校の川辺主将が選手宣誓で「歴史と伝統のある高校野球を更に魅力あるものに発展させ、
未来の高校球児へと繋いでいく責任がある」と堂々と宣誓しました。
高校球児は3年間で高校野球生活を終えますが、我々審判員は1つの大会が終わっても、
この先何十年と高校野球に携わります。
その為、選手以上に高校野球を未来へ繋ぐ貴任があり、
技術も意識もレベルアップし続ける必要があると改めて感じました。
● 担当試合
甲子園では3試合を担当しました。初日第2試合の自身が担当する初戦(花巻東 対 米子松陰)では2塁審を担当し、
前述した通り不安の中でグランドに立ちましたが、試合開始の挨拶をする時には不思議なほど心が落ち着いており、
応援や歓声で騒がしい中を定位置に向かって走っている間も場内アナウンスがはっきりと聞こえ、
スタンドをゆっくりと見渡す事ができたので「大丈夫、できる!!!」と自分に言い聞かせ、
普段通りの振る舞いを心がけ試合に集中しました。
しかしここは甲子園。
ゲームメイクや選手とのコミュニケーションが普段より重要視され、
普段以上に気を配ったつもりでしたが、なかなか上手くいきませんでした。
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2試合目は大会3日目第2試合(山梨学院 対 天理)の3塁審でした。 天理の攻撃で、2アウト満塁から頭部死球があり臨時代走を適用しましたが、 その時の各塁審の処置が迅速で良かったと言われましたが、実は誰が臨時代走者になるのかよく分かっておらず、 正しい走者を送り出したのか不安でした。
最終戦は大会4日目の第2試合(エナジック 対 至学館)の1塁審で、 派遣審判委員の中では一番先に出番を終える事になっていました。 試合終了の挨拶を終え、球場を去る間際に球審から「浅利さん、もう一度グラウンドを見なよ」と声をかけて頂き、 見渡した晴天の下の大きなフィールド、その先に聳え立つ巨大なバックスクリーン、 そこの審判員名には「浅利」の文字…涙を必死に堪えながらグラウンドに深く一礼し、 13段の階段を降りた先で他の派遣審判委員が拍手で出迎えてくれているのを見て、 もう甲子園球場のグラウンドに入れない寂しさ、もっと上手にやれたという悔しさ、 大事なく終える事ができた安堵感、良き仲間に出会えた嬉しさ等、様々な感情が入り交じり号泣してしまいました。
● 今後の目標
審判員を始めた頃、先輩に甲子園が目標と話をすると「夢を見るな」とか「まぁ無理だ」等と鼻で笑われた事もありましたが、
雲外蒼天、諦めずに努力を続けた結果その夢が叶いました。
私のように高校野球人生が終わって審判委員として甲子園を目指す事ができます。
甲子園の審判委員は「気配り・目配・心配りのできる、皆の想いを背負い表現できる者が立つ場所」 選抜大会派遣を経験して感じた印象です。 秋田県には甲子園に立ちたくても立てなかった素晴らしい先輩、 私よりも上手で甲子園を目指して切磋琢磨している将来有望な審判委員がたくさんいます。 「テレビの前で応援するよ」と、沢山の方々からも激励をいただきました。 その全ての方の想いに応えられるように、 今できる全てを出し全力で甲子園球場を走りジャッジできた事、本当に感謝しかありません。
今後は誰から見られても「あの時浅利を派遣して良かった」と思ってもらえるように精進し、
仲間には今回の経験を包み隠さず伝え、
次に派遣された方が不安なく甲子園で躍動できるようサポートしていきたいと考えています。