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~ 審判コラム ~
私が野球と出会ったのは小学4年生のときでした。
放課後、学校のグラウンドで仲間とキャッチボールをしていた時間が、今でも鮮明に思い出されます。
グラブに収まるボールの音、バットにボールが当たった瞬間の快感、
仲間と笑い合う声―――そのすべてが、少年だった私を夢中にさせました。
野球は単なるスポーツではなく、私にとって「青春そのもの」でした。
中学、高校と進むにつれ、野球はますます生活の中心になりました。
高校時代は、毎日朝から晩までグランドに立ち、汗と泥にまみれながら練習に打ち込みました。
試合に勝った時の喜び、負けた時の悔しさ、仲間と泣き笑いした日々―――その全てが私の心に深く刻まれています。
しかし、最後の夏、秋田県大会の決勝まで進んだものの、あと一歩のところで甲子園には届かず、燃え尽きた感覚が残りました。
社会人になってからクラブチームで少しプレーしましたが、あの頃の情熱は戻らず、次第に野球から遠ざかっていきました。
そんな私の野球熱が再び灯ったのは、長男が小学3年生でスポーツ少年団に入り、学童野球を始めたことがきっかけです。
週末、グラウンドで子どもたちのプレーを見守るうちに、懐かしい匂いと音が心を揺さぶり、野球への情熱が少しずつ戻ってきました。
子どもたちが必死にボールを追い、仲間と声を掛け合う姿を見て、「やっぱり野球っていいな」と心から思いました。
その頃、同じスポ少に所属する親御さんが審判をしていたり、練習試合に来ていただいた審判の方から「やってみない?」と声をかけられたことが転機となりました。
40歳の時軽い気持ちで審判資格を取得。身体もなまってきたし、好きな野球でボランティア活動をできるし、健康にも良いかな―――そんな思いでスタートしました。
ところがやってみると審判は奥が深い。
野球のルールはわかっているつもりでしたが、知らないルールがたくさんあり、
また、打球に応じた動きも複雑で「審判ってこんなに大変だったんだ」と気づかされ、必死にルールブックを読み込みました。
試合を重ねるうちに「ジャッジの責任」「試合を支える役割」の重みを感じるようにもなりました。
もちろん、プレッシャーもあります。
特に公式戦や大事な場面では、ストライク・ボールの判定ひとつで試合の流れが変わることもあり、緊張で汗がにじむ瞬間もあります。
審判は正しくジャッジして当たり前ですから、褒められることはありません。
それでも、無事に試合が終わった時の達成感は格別です。
今年、母校・金足農業の招待試合で大阪桐蔭さんとの球審を務めたときは、特別な感慨がありました。
金足農業OBの審判で試合を運営するという計らいもあり、胸が熱くなりました。
両チームとも好投手がそろいゾーンギリギリを突く投球が続くなか、緊張を超えて「楽しい」と思えた試合でした。
あの瞬間は、審判を続けてきて本当に良かったと感じた場面です
審判をやることで、高校時代の恩師や同級生などと、再会することもありました。
また、審判をしていなければ出会うことのなかった仲間との親交も深まりました。
野球を通じて広がる人の輪―――これも審判の魅力のひとつです。
もちろん、休日に送り出してくれる家族の理解と支えがあってこそ続けられています。
感謝の気持ちは忘れません。
これからも、初心を忘れず、1試合1試合、心意気を込めて審判を続け、少しでも秋田県の野球界に寄与できるよう努めていきたいと思います。
もし、この記事を読んで「面白そうだな」と感じた方がいれば、ぜひ審判に挑戦してみてください。
選手とは違う視点で野球を楽しめる世界が、そこにはあります。